・地区編・第九章ー根岸地区
第九章⑥根岸地区
第一節一⑨根岸村から(l)山手の周辺として⑨近世ーこの章で扱うのは根岸地区である。この地区は根岸町・山元町など一九カ町、それに工業埋立地千鳥町を含む範囲で、面積四00・六ヘクタールである。このうち千鳥町は二二0・二ヘクタールで、およそ地区の面積の三分のーを占める。地形は根岸町や麦田町などわずかな平坦地のほか、ほとんどが丘陵地である。束は本牧地区、西は磯子区、南区に接している。この地区のほとんどは旧、根岸村(根岸町)の区域である。便宜上、この地区を南部地区と北部地区とに分けることもある。地区のほぼ中心的な町としては、南部は根岸町、北部は山元町とした。なお、この根岸町というのは、昭和二年十月一日、区制施行の際、磯子区に西根岸町・丸山町として一部を分離した後の根岸である。根岸地区の近世も『新編武蔵風土記稿』によって、その輪郭がうかがえる。江戸中期に現在地に鎮座したといわれる根岸八幡社
を11,心とした根岸村(町)は、東京湾に漁場をもつ漁村であった。村には村のさまざまな歴史を経てきたが、特に根岸の場合には狭い漁場での資源を確保するため、苦労がともなっていたようであった。例えば文化十三年(一八一六)、江戸湾をめぐる武蔵、相模、上総の四四の漁村が協定し、新規の漁具漁法を用いることを
』1.××1
J轟極ぎ無
―ー2ーートー
~/ー

山手・根岸外国人遊歩道略図(部分〕
。ア3ユ