コラム

【豆知識】ペリーは根岸湾をミシシッピ湾と名付けた

ペリーの日本遠征を伝える「絵入りロンドン・ニュース」紙 1853年5月7日【所蔵】横浜開港資料館蔵【請求記号】Fb2-1853.5.7

ペリー艦隊がつけた地名

ペリーは測量した先々で土地に名前をつけました。

名前の付け方にはいくつかの類型がみられます。たとえばペリー島(猿島)やウェブスター島(夏島)など、島は人名にちなんだものです。ペリーはPerry提督、ウェブスターは国務長官Websterに由来します。

岬の名前は出来事にちなんでいます。たとえば条約岬(本牧岬)は、横浜で条約交渉がおこなわれたからです。

湾にはほとんどペリー艦隊の艦船の名がつけられました。ミシシッピ湾(根岸湾)、ポーハタン湾(横須賀湾)、サスケハナ湾(走水沖)といった具合です。

ペリー艦隊が命名した地名はその後消えてしまいましたが、ミシシッピ湾(根岸湾)だけはその後も長く使われました。

風光明媚な根岸湾は、ミシシッピ・ベイの名で親しまれ、外国人向けに販売された着色写真にも、根岸湾ミシシッピ・ベイと記されました。

YOKUHAMA(横浜)やKAMISAKI(観音崎)など、耳コピによる誤表記も散見します。

出典

「開港のひろば」第84号
2004(平成16)年4月28日発行

企画展
開国150周年「ペリー来航と横浜」
企画展
「ペリー来航と横浜」隊員の日記や海図から

├ モーリー大尉の自筆日記├ 「アメリカ碇泊地」├ ボートで測量├ プレブルの日記├ 横浜に上陸└ ペリー艦隊がつけた地名
資料余話
ドン・ブラウンの上司、W・フライシャー
資料よもやま話1
ペリー来航前夜の江戸防衛計画
資料よもやま話2
横浜資料の宝庫-館蔵諸文書
閲覧室から
新聞万華鏡(15)
関口昭知と新聞
資料館だより

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