根岸町3丁目

白滝不動尊

本堂 2018年2月1日10:02撮影
山号
白滝山
白滝山
院号不動院
宗旨真言宗
創建年不詳(鎌倉時代)
札所等横浜弘法大師二十一ヶ寺十六番霊場
法人番号1020005000901
商号又は名称宗教法人宗光寺(シュウコウジ)
白滝山

イベント

日付内容
元旦初詣
節分豆まき(15時~)
歳男・歳女の方は是非豆まきにご参加ください。

年2回、元旦に初詣客への甘酒の振る舞いと、節分当日に豆まきを行っています。

アクセス

〒231-3036 神奈川県横浜市中区根岸町3丁目156

縁起

  • 境内には、かつて荒沢不動堂白滝不動堂の二つの仏堂があった。
    • 荒沢不動尊は高さ98cmほどの漆黒の木像で、右手に剣を、左手に縄を持ち火焔の前に立つ。鎌倉時代のこと。ある修験者はこの不動像を背負い諸国行脚の旅をしていた。根岸湾を一望できる丘で休んでいたところ、像は岩のように重くなり、微動だにしなくなった。不動様はこの地を気に入ったのだろうと思い、村人の協力を得て小さなお堂を建てたとの言い伝えが残されている。
    • 白滝不動尊は高さ45cmほどの極彩色の木像で、傍らに22cmの両童子が立つ。言い伝えによると、永禄の頃。根岸台地の麓にあった、湧水をたたえた池のほとりに外記という者が暮らしていた。ある日、大雨で池の水があふれ、外記の家も、池から根岸湾に注ぐ烏川も濁流にのまれた。外記は土砂を取り除き家を掘り出していたところ、山の中腹に井戸のようなほら穴が見つかり、中から一体の仏像が現れた。外記が自宅の仏壇に供えると、その夜仏像から一条の光明がさし、輝き始めた。家に置いていてはもったいないと宝積寺に預け、読経し供養したがその夜も異様な光を発した。寺の僧侶は「元の地に帰りたがってるのだろう」と考え、仏像が発見された穴に行くと井戸のそばに岩屋が見つかった。そこに仏像を納め抱擁すると、光を発することはなくなったと言う。その数年後の文禄の頃。仏像が見つかった井戸の穴から大量の水が湧き、滝のように崖から流れ落ちた。その夜、外記の夢に仏像が現れ、「我は不動明王である」とお告げをした。外記は岩屋の脇に草ぶきのお堂を建て、不動像を安置した。
  • 貞享の頃には、加曽の住民たちは不動堂を修繕し、氏神として祀るようになった。
    • 1690年(元禄3年)、不動尊を腹ごもりにするため、鎌倉の仏師三橋甚兵衛らに、大きな不動像の制作を依頼。新たな社殿を建て、新しい像の中にそれまでの不動像を収め、本地仏白滝不動尊像として祀った。すると、上根岸の住民も氏子になりたいと申し出て、両村の鎮守神となった。
    • 1651年(慶安4年)、根岸八幡神社周辺が検地により根岸村から滝頭村に編入されたことにより、根岸村の村民は白滝不動尊を鎮守神と仰ぐようになった。
    • 1766年(明和3年)、根岸八幡神社根岸村内に移転すると、白滝不動尊根岸八幡神社の双方が根岸村の鎮守となった。
    • 1869年(明治2年)、神仏分離により白滝不動尊が真言宗の寺院となったことにより、根岸村の鎮守は再び根岸八幡神社のみとなった。
  • 1923年(大正12年)の関東大震災では荒沢不動堂白滝不動堂の二つのお堂は全壊したが、根岸村の民家は一つも倒れることがなかった。これは不動様が身代わりになってくれたと考え、1925年には本堂を再建。堂内中央正面に白滝不動尊、左側外陣に荒沢不動尊が安置されている。右側には弘法大師像があり、横浜弘法大師二十一ヶ寺の第十六番霊場ともなっている。
  • 1935年(昭和10年)10月、『横浜貿易新報』の読者投票により県下名勝史蹟四十五佳選に選定された。
  • 仏像が現れたとされる7月28日には祭礼が行われた。毎月28日の縁日には多くの参拝客が訪れ、坂下の道には屋台が並んだ。夏の縁日には海辺で花火が打ち上げられたりもした。明治の中ごろまでは周囲の街道には茶店や旅籠が並び、遠く三浦や房総半島の漁民が船で参詣に訪れることもあったが、戦後には訪れる人もまれな静かな寺院となった。

幕末に完成した外人遊歩道に面して、百級の石段がまっすぐに不動堂のある丘陵に向かって続いています。
不動尊拝殿からは根岸湾勝景しょうけい眺望ちょうぼうできましたが、 今はその風景も変貌へんぼうしました。
本尊不動明王立像ふどうみょうおうりつぞうは、境内けいだい懸崖けんがいの中段にあった井戸の中から出現したという伝説があります。
この不動尊を信仰する人々は、房総・三浦まで広がり、 不動下には、 明治中頃まで茶店や旅籠はたごが軒を並べ、参詣さんけいの人々で賑わっていました。
不動堂の丘の下の滝は、 高さ20m、幅5mの滝で、 市内で最も見事な飛瀑ひばく不動滝の名で呼ばれていましたが、丘陵地帯が開発されて水源を失い、 現在はわずかに一筋の水が滝の名残りをとどめて落下しています。

(社)横浜国際観光協会
横浜市教育委員会文化財課
平成2年3月

横浜市指定無形民俗文化財 根岸の榊神輿さかきみこし

平成二十四年十一月二十二日 指定

  • 行事の日:三年に一度の八月第二土曜日及び日曜日
  • 保存団体:根岸榊神輿さかきみこし保存会

根岸の榊神輿さかきみこしは、根岸八幡神社の例祭に際し、根岸町で三年に一度行われる、さかきで制作した神輿を中心とした祭礼行事です。榊祭りとも呼ばれ、ここ根岸の白滝不動から始まったと伝えられています。

榊神輿さかきみこしの制作は、祭りの五日前から始まり、仕入れた榊を白滝不動の滝壺に一晩浸し、榊の枝を必要な長さに切りながら、ニメートル四方、高さ一・六メートル、重さ四百キログラムの四角錐状に神輿みこしを作り上げます。

祭り当日は、趣向を凝らし色とりどりの榊襦袢さかきじゅばんを着た担ぎ手によって町内を巡行します。かつては根岸町を含む四つの地区が輪番で榊神輿さかきみこしの制作に当たり毎年行われていましたが、戦争で中断、戦後は交通規制で断続的に行われ、昭和六十年に復活しました。他の地域で行われていた同様の祭礼行事が途絶えた今、市内に残る唯一のものです。

平成二十五年三月 横浜市教育委員会

過ル大正十二年九月一日關東大震災二際シ當町内住人ニ於テモ拾數名ノ死者ヲ出シタルハ痛恨ノ至リニ耐へズ時恰モ十三回忌二當り茲ニ祖霊ヲ祀リ併セテ當時ノ惨憺タル状態ヲ永クニ記念センガ爲此碑ヲ建立ス

昭和十年九月一日 建立

發起者

新井 平左ヱ門
 仝 太左エ門
 仝 三郎
 仝 新石ヱ門
 仝 □太郎
 仝 吉左エ門
大久保 七郎
小川 定五郎
成田 要蔵
 仝 吉蔵
岸 石蔵

根 衛生組合
岸 在郷軍人会
町 青年会

石工 寺田秀樹


解説:

  • 過る大正12年9月1日・関東大震災に際し、当町内住人においても十数名の死者を出したるは痛恨の至りに耐えず、時あたかも13回忌に当り、ここに祖霊をまつり、あわせて当時の惨憺さんたんたる状態をながくに記念せんがため、この碑を建立こんりゅうす。
  • 「當」は「当」の古字
  • 「仝」は「同」の古字
  • あたかも=ちょうど
  • ここに=今

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